魚町銀天街
●魚町銀天街の沿革
昭和26年(1951年)魚町二丁目アーケード完成、魚町銀天街と命名
昭和27年(1952年)魚町大火 かねやす百貨店被災
昭和28年(1953年)北九州地方で豪雨大水害
昭和31年(1956年)魚町三丁目アーケード完成
昭和33年(1958年)小倉駅が現在地に移転
昭和34年(1959年)小倉城再建
昭和38年(1963年)北九州市誕生、銀青会発足
昭和45年(1970年)魚町商店街振興組合設立
昭和50年(1975年)新幹線開業
昭和55年(1980年)西鉄北方線路面電車廃止
昭和60年(1985年)北九州都市モノレール開業
昭和63年(1988年)わっしょい百万夏まつり開催
平成 2年(1990年)魚町銀天街ちびっこ(現:子ども)絵画コンクール開始
平成 4年(1992年)西鉄砂津~黒崎線路面電車廃止
平成 5年(1993年)小倉そごう開店/ラフォーレ原宿小倉開店
平成10年(1998年)小倉駅新駅ビル完成
平成12年(2000年)魚町トイレ完成/小倉そごう閉店
平成13年(2001年)小倉食市食座スタート
平成14年(2002年)魚町銀天街カラー舗装改修/小倉玉屋閉店
平成15年(2003年)リバーウォーク北九州開店
平成16年(2004年)小倉伊勢丹小倉伊勢丹開店
平成18年(2006年)新北九州空港開港
平成20年(2008年)小倉伊勢丹閉店/COLET井筒屋開店
平成22年(2010年)魚町エコルール完成/UOCA、魚町ビジョンスタート
平成23年(2011年)リノベーションスクール@北九州スタート
平成25年(2013年)中小企業庁 がんばる商店街30選受賞
平成30年(2018年)SDGs商店街宣言
平成30年(2019年)第1回SDGsクリエイティブアワードゴールド賞受賞
平成31年(2019年)COLET井筒屋閉店/第3回ジャパンSDGsアワード受賞
令和 元年(2019年)中小企業庁 はばたく商店街30選受賞
令和 2年(2020年)2019北九州SDGs未来都市アワードESD賞受賞
●魚町銀天街とは
魚町銀天街は、魚町一丁目と魚町二・三丁目の商店街から成り立っています。 その間の勝山通り(旧電車通り)にあるのが、平成22年3月に完成した魚町エコルーフです。 昭和26年10月に日本で最初に公道上にアーケードを作ったのが、魚町商店街です。 アーケードの名称を公募して、全国から4000通を超える応募があり、銀天街と名づけられました。全国にある銀天街の発祥の地となっています。 それを記念して魚町エコルーフのたもとに銀天街発祥の碑があります。 |
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旦過市場の新旦過の奥に稲荷神社があります。その対面のお宅に般若のお面が飾ってあります。 これは、稲荷神社から出るフォースで対面のお宅のおばあさんが寝られないかたったそうですが、般若のお面を飾ることで、そのフォースをブロックすることができ、寝れるようになったそうです。 |
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魚町三丁目の旧かねやす百貨店の屋上に防空監視哨があります。戦時中は、このビルが一番高かったそうでここからB29の襲来を監視していたそうです。 1952年11月30日、旧かねやす百貨店では、後に「魚町大火」と呼ばれる火事が発生しました。魚町商店街の店舗22軒が全焼、2軒が半焼し、合計で戸が被災したそうです。 なお、ちなみに火事の第一発見者は、はす向かいの中屋商店で受験勉強していた私の父です。 |
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昭和55年(1980年)廃止された軌道北方線起点跡のモニュメントです。敷石にみかげ石が使われていて、現在の「みかげ通り」の名前の由来となっています。起点を超えて暴走して当時あった正面のうどん屋さんに何回か突っ込んだこともあると聞いています。 北九州市がみかげ石をアスファルトに変えようとした際はある方法を使ってそれを押しとどめてもらいました。 |